教養は必ずしも様々な分野のことを
幅広く知っているからいいというものでもないと思います。
広く知っている分、知識は浅くなりやすくなります。
あるひとつの分野に対しての深い知識、それに伴う理解力や考察力があれば、
その人は教養があると言えるのではないかと思います。
自分で吸収した知識を自分のものにしなければ、教養があるとは言えませんよね。
知っているだけでなく、それに対して自分がどう考えているか、
理解しているか、使うことが出来るか、
それが大切ではないかと思います。
何かひとつ専門的なことに対して深く学んでいく、
そうして自分に身についた教養を持っている方は、
どこか人として素敵だと思いませんか?
学ぶことで精神が変わってきます。
人は外から変わるのではなく、中から変わるものだと感じます。
いくら外見を着飾って煌びやかなものを身につけていても、
中身が何も無かったら、それは本当に素敵に見えるでしょうか?
素敵なひとは体の中から滲み出てくるものがあるはずです。
それが、その人をより魅力的に見せています。
顔の器量でも、スタイルでも、外見でもない、
その人自身が輝いているように見えます。
だから、教養がある人はかっこよく見えるのです。
自分の意見や考えを他人に押し付けるだけでは、
それは強要になってしまいます。
なぜ、教養がある人が素敵なのか。
それは、自分が努力して身につけたものが
その人の魅力となって外に滲み出るからですね。